第14回:貧困問題の解決とは(4) ――ボランティアについて: 贈与論の視点から

 

本連載の第1回目「ボランティアという活動:当事者運動と非当事者運動の出会いが生み出す「共」性」の最後の部分で、私は次のように述べた。「直接的な利害を持たない非当事者としてのボランティア活動が、自ら問題を解決しようとする当事者の運動と出会い、互いの関係を見つめ、違い=多様性を尊重し、なおかつ共有できる大切な価値観や規範を共に生み出すとき、そこに「私」にも「公」にも包摂されない「共」的関係と空間が生み出される。ボランティア活動に参加する個々の人々の善意に基づく活動から、そうした「共」を生み出す運動へと発展することが、日本のボランティア運動には求められている。」  

今回は、ボランティア活動が生み出す「共」的関係と空間の持つ意味について、交換様式論-贈与(互酬)論-の観点から改めて考えてみたい。

 

米国型ソーシャルビジネスへの疑問

関西で活動するNGOのネットワーク組織である関西NGO協議会が「関西NGO大学」という事業を行っている。2013年1月に「NGOとソーシャルビジネス、何が違うの?」というテーマで講座が行われ、パネリストとして呼んでいただいた。  

ソーシャルビジネス(社会的企業)と一言でいっても、定義は一様ではない。一般的には、米国型とヨーロッパ型の二つに大別できる。米国型のソーシャルビジネスは、貧困問題のような社会的課題の解決をビジネスの手法で行うことをめざすもので、日本でもここ数年、ソーシャルビジネスに関する議論が盛んだが、ほとんどが米国型のビジネスモデルのように思われる。筆者は常々米国型のソーシャルビジネスに疑問を持っており、上述の講座で次のように論点を提出した。  

第一に、ソーシャルビジネスは利益を出資者に分配していいか、という点である。バングラデシュグラミン銀行創始者であるムハマド・ユヌスは、ソーシャルビジネスを「決して利益を追求したり、所有者に配当を支払ったりするものではない」と定義し、米国型ソーシャルビジネスに対する厳しい批判を展開する*1。そればかりか、こうした考え方で、電話・ソーラーパネルなどのエネルギー・医療・魚養殖・教育・水・織物等々の事業を実際に展開してみせる。  

ユヌスによるソーシャルビジネスの原則は次の7つである。 ①社会問題の解決に専念、②持続可能、③出資者は出資額のみを回収。配当はなし、④出資額を返済した残りの利益は社内留保。事業拡大に用いる、⑤環境に配慮、⑥従業員に市場賃金と標準以上の労働環境、⑦楽しむ。ユヌスは、このようにソーシャルビジネスを定義する理由として次の3つを挙げる。一つ目は「倫理的な理由」で、「私は、 貧乏人を相手に金儲けをする(特に、企業が利潤を最大化する)のは非道徳的だと考えている。それは仲間の苦しみで利益を得ているようなものだ」。二つ目は「現実的な理由」で、「圧力にさらされると、必ず利益が他の目標より優先されるからだ」。「利益と人間のニーズが対立すれば、勝つのはたいてい利益のほうだ。人間のニーズは二の次にされてしまうのだ」。三つ目は「制度的な理由」だ。「ソーシャルビジネスの目的は、従来のビジネスの枠組みに新しい目標を取り入れることではなく、従来の枠組みから完全に脱却すること」「個人の金銭的利益という考え方をきっぱりと捨て」ることであるとする。  

第二に、ソーシャルビジネスが利益を出資者に分配していいとすると、ソーシャルビジネスと低開発国で活動している通常の企業は何がちがうのか、という点である。例えば、ビジネスの手法で貧困問題の解決に取り組むといった場合、より安価に提供することで貧しい人たちでも商品やサービスを入手しやすくなること、水・教育・医療・エネルギーといった基礎的なニーズに特化したサービスを提供すること、あるいは雇用を創出して所得を増やすこと、などが考えられるが、でもこれらのことは通常の企業活動の効果でもありえるわけで、特段にソーシャルビジネスと名乗らなければならない理由はないのではないか。  

第三に、米国型ソーシャルビジネスにおいて、貧しい人々は、受動的消費者に過ぎないのではないか、という点である。ソーシャルビジネスを通じて貧困問題を解決するといっても、ソーシャルビジネスの主体は、起業する能力を持つ人々、つまり中産階級(の下層か、せいぜい貧しい人々の中でも相対的に豊かでそれなりに事業を営む能力を獲得した人)であって、貧しい層の人々は、これらの人々が提供する商品やサービスを消費するだけの受動的位置に置かれてしまっており、主体として想定されていない。さらに、商品・サービスを購入する金を持たない人をどのように消費者にできるのか、つまり需要はあるが、有効需要がない状態をどう解決するかという問題も抜け落ちる。  

ユヌスとグラミンの場合でも、銀行業以外のソーシャルビジネスは貧しい人々の主体化を主要なテーマとしていないが、銀行業による貧しい人々に対する融資=起業支援により貧しい人々が所得を増やすことと結びついている。つまり、貧しい人々が社会変革の主体となる契機として融資=起業が位置づけられ、しかも被融資者が形成を義務付けられている5人一組の連帯グループを基盤とした集団的エンパワメントを進めている。

 

贈与(互酬)という交換様式   

上で紹介したユヌス=グラミンのソーシャルビジネスの特徴は、何と言っても「従来の枠組みから完全に脱却した」新しいビジネスモデル、すなわち<事業を継続するために利益は出すが配当しない>モデルを提示し、しかもダノン、インテルアディダスといった世界的な企業がそれに賛同し出資している点にある。むろん、ユヌスとグラミンのノーベル平和賞受賞というネームバリューによる宣伝効果を期待している点は否めないだろう。だが、それを割り引いたとしても、市場において配当やキャピタルゲインを得られない事業に投資する道を開いた点は大いに評価されて良い。  

筆者がユヌス的ソーシャルビジネスを高く評価する理由は、贈与(互酬)原理に基づく経済の新たな仕組みの可能性を予感させるものであるからだ。評論家柄谷行人の整理によると交換には四つの様式がある*2。資本主義システムにおける支配的な交換様式は市場における商品交換である。これは交換する主体の相互の自由を前提する。二つ目は略奪‐再分配である。これは国家による徴税と財政政策 を通じた再分配であり、市場の論理によって生み出される格差問題などを補う。三つ目は贈与と返礼(互酬)である。これはネーション(国民)としての想像の共同体による相互扶助である。大きな災害が発生したときに「同じ日本人だから困ったときは助け合おう」という感情が共有され、募金やボランティアなどにより贈与が行われ、感謝の気持ちが返される。柄谷は、商品交換が支配的でありながらもこの三つの交換様式が互いに補完しあっている社会が資本主義社会だという。そして、第四の交換様式である「高次での互酬」が支配的になるような社会を世界的規模で構想することで資本主義に代わるシステムを展望する。ここでは、彼の「世界共和国」論の是非を論じるだけの余裕はないが、16 世紀以降の近代植民地主義とその中で発展してきた資本主義世界システムが途上国の貧困問題の構造的な原因だと捉えるとき、資本主義に代わる新たなシステムをどのように日々の実践の中から生み出すことができるのか問い続ける必要がある。柄谷の提起を援用し、互酬の観点から、国際協力活動におけるボランティアや寄付の持つ可能性を見ておきたい。

 

ネーションに代わる想像の共同体としての<地球市民による互酬システム  

上で紹介したユヌスの提唱するソーシャルビジネスも、贈与と返礼として捉え返すことができる。投資する側は、市場(商品交換)で期待しうる配当を事業側に贈与し、代わりに事業を通じて貧困問題の緩和に役立つという喜びと名誉を得る。日本でも1995年の阪神淡路大震災以降拡大し 市民権を得たとされるボランティア活動も、商品交換や再分配ではない、贈与と返礼という互酬システムの新たな形態での発展とみなすことができる。しかも国際協力ボランティアの場合、その互酬システムが国境を超えて機能することになる。  

国民国家の側は、こうした互酬システムをその基盤であるネーションの論理に回収しようとする。JICAの青年海外協力隊の事前研修において、毎日「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱が行われ、天皇との面会がセットされ、「国益」が強調されるのはその好例である。だが、市民の自主的・自発的国際協力活動は、ネーションの論理には収まりきらない。「同じ地球に暮らす者同士だから困ったときは助け合 おう」という感情が共有され、国境を超えた想像の共同体としての<地球市民>が既に萌芽的に形成されているのであり、資本のグローバリゼーションが不可逆的な過程として進展しているのと同様、またそれに依拠する形で、<地球市民>という共同体の形成も不可逆的に進展せざるを得ない。国境を超えたボランティア活動が生み出す「共」的関係と空間とは、まさにこうした<地球市民>共同体の形成に他ならない。

 

地球市民>共同体を形成するために  

このように整理すると、筆者の所属するNGOは互酬に基づく<地球市民>共同体の形成を促進しようとしているということになる。そのためには、「他者」としての当事者と直接向き合い、共感しあう場を確保することが不可欠だ。その点で、NGOは極力「代行主義=支援のブラックボックス化」を排し、<市民>同士の直接の協働関係を促進しなければならない。NGO職員に任せきりにするのではなく、 NGOの会員や支援者一人ひとりが貧困の当事者と向き合う仕組みを作り出すことが重要だ。  

また、<市民>同士の直接の協働関係の促進といっても、国民国家によって分断されている現実から出発しなければならない。同じ<地球市民>としてのフラットな関係が、国民国家内における市民同士のように既に存在しているわけではない。先進国市民は途上国市民に対してパワーを持つ。貨幣を持つものは商品しか持たないものに対してパワーを持つ。そして贈与するものは贈与されるものに対してパワーを持つ。個々の国際協力の現場でこうしたパワーギャップをなくし、対等な<地球市民>の形成に向かうためには、そのための仕組み、つまりNGOの組織論(ないし先進国NGOと途上国NGOとのパートナーシップのあり方)、途上国の貧しい住民と先進国の住民の協働関係を維持し推進するための組織論が問われる。  

その手がかりになるのが、ヨーロッパ型ソーシャルビジネスの主流を占める生産者協同組合である。協同組合は出資額の多寡にかかわらず組合員が1人一票の平等かつ対等な立場で意思決定(経営)に参加する。そこには労働力の売買契約(商品交換)に基づく雇用関係はなく、労働に対する指揮命令権は、雇用にではなく、指揮者を自分たちで選任したことにその源泉を持つ。協同組合にも、分業と労働の質の違いや、労働の質に応じて受け取る報酬の差は存在するが、組織の構成員相互の関係は雇用関係とは異なり双務的・互酬的である。  

こうした資本主義的な組織原則に対するオルタナティブとしての協同組合的組織原則を持ったNGOや住民組織を、しかも国境を超えた単一の組織(多国籍企業のように)として無数に創りだすことができれば、互酬制に基づく諸団体の地球的ネットワークとしての<地球市民>共同体を生み出すことができるのではないか。

 

注)  

*1 以下、ムハマド・ユヌス『ソーシャル・ビジネス革命―世界の課題を解決する新たな経済システム』(早川書房)を参照。  

*2 以下、柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店)を参照。