第12回:貧困問題の解決とは(2) ――世界システムの中のフィリピン

 

前回は、フィリピンの農業・農民問題、都市部における産業未発展の問題、ひいては国民経済全体の問題が、フィリピン一国内で完結しているわけではなく、むしろ国際的な政治経済環境の中で再生産されてきたこと、そもそも大土地所有制そのものが、フィリピンで内発的に発展してきたものではな く、16世紀以降のスペイン・米国による400年にもわたる植民地支配の下で移植され、強制され、根付き、発展してきたものであること、総じてフィリピン社会が今なお抱える貧困問題の最も根本的な要因が近代植民地支配にあることを指摘して終わった。今回は、この問題を掘り下げたい。

 

経済発展に関する二つの考え方  

経済発展についての理解には大きく分けて二通りあ る。一つは、単線的発展段階論と呼ばれるもので、全ての社会は同様の経済発展段階を進むのであり、「先進」国と「後進」国の違いは、経済発展段階に到達する時期が早いか遅いかの違いだけである、という考え方である。この考え方によれば、「後進」国は「先進」西欧諸国と同じ道をたどり、やがて先進諸国に追い付くか、少なくとも経済格差は縮まっていくことになる。とりわけ、 W.W.ロストウの提唱した〈伝統的社会→離陸のための前提諸条件の形成期→離陸(テイク・オフ)→成熟への前進→高度大衆消費時代〉という五段階説が有名で、以後「テイク・オフ」(産業革命)を可能にする経済条件の計量的な把握を中心に、国民所得などの経済諸指標の推移の体系的分析をつうじて経済発展の規則性を解明し、それを「後進国」の「テイクオフ」に適用しようとする議論が活発に行われるようになった。こうした単線的発展段階論によると、欧米諸国が発展している原因は欧米諸国自身にあり、「後進」国の後進性の原因も「後進」国自身にある、ということになる。  

これに対して、60年代半ば以降、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの研究者などから従属論や世界システム論といった考え方が提出され、異議申し立てが行われた。近代以降、世界は「中心」(欧米諸国)-「周辺」(旧植民地諸国)として構成され、個々の一見自立しているように見える社会は実は相互に連関しあって世界システムという一つの有機体を構成してきた、という捉え方である。こうした世界システムの中で、「中心」は「周 辺」の経済余剰を収奪・領有してきたのであり、そのことが「中心」の経済発展の原因となり、「周辺」の貧困の原因となったと主張したのである。  

歴史の捉え方においても、それまでは「開発」された「文明」国家=欧米諸国を基準にして、遅れていて未だ開発されていない(「未開」)の「野蛮」な地域として 捉えられてきた旧植民地地域が、「中心」に対する「周辺」として欧米諸国との関係において捉えられるようになった。旧植民地地域は遅れているから「未開」「野蛮」なのではなく、旧宗主国に支配・抑圧され、開発され、収奪されてきた結果として「低開発」状態を作り出され、強制されてきたと考えられるようになったのである。  

このように、従属論や世界システム論が提起した視点は、第一に、欧米諸国が進んでいて旧植民地諸国が遅れている、欧米諸国が発展の基準であり旧植民地諸国の開発の達成すべきモデルは欧米諸国であるという欧米中心主義に対して、旧植民地であった諸地域・社会はそれぞれの歴史的発展の過程と目標が多様なものでありうることを対置した。また、第二にそうした多様な発展を可能にする条件は、「中心-周辺」という収奪構造=「周辺」の貧困化構造そのもの、世界システムそのものを変革することが必要であることを示すものであった。

 

旧植民地の政治的独立のインパク 

従属論のような視点が旧植民地の研究者たちから提出され、大きな影響力を持つようになったのは、その背景として第二次大戦後の旧植民地の相次ぐ政治的独立=国民国家形成のうねりがある。いわゆる「南北問題」とは、北半球の先進工業諸国と南半球の発展途上国との経済格差に集約される国際経済の構造的諸問題を総括的に表現する用語であるが、政治的独立を果たした「南」の国々が、「北」の先進工業国と対等の地位に立つことをめざして、先進国との経済関係の調整に乗り出したことがその背景にある。南の国々が先進国の植民地であった時代には、いわば「南北問題」は存在せず「植民地問題」「植民地政策」のみが存在していたということができる。第2次大戦後、これらの国々が独立をしはじめ、経済開発が課題にのぼるとともに「後進国開発」問題が登場した。さらに「南北問題」という言葉が生まれるのは、1950年代末、南の国々の大半が独立し、北に対する要求を始め、南北の利害対立が人々の意識にのぼるようになってからのことである。  

従属論が最初に問題提起されたのもこうした文脈の中においてであった。1964年ジュネーブで開催された第1回国連貿易開発会議(UNCTAD)において提出さ れた「開発のための新しい貿易政策を求めて」と題する基調報告(プレビッシュ報告)で、<中心-周辺>という概念が初めて提示された。UNCTADは発展途上国の経済開発を促進することにより南北問題を解決することを目的とする国連総会直属の常設国際機関で、第2次大戦後政治的独立を達成した諸国が経済開発に行きづまり、南北格差が一層拡大していく事態の中で、その原因を先進国側に有利なIMFGATT体制を中心とする既存の世界経済システムに求め、その変革を要求したのである。

80年代以降、従属論の影響力は後退し、「南北問題」という用語は次第に使われなくなっていく。一つは、 韓国・台湾・香港・シンガポールといったいわゆるアジア NIES新興工業経済地域)に代表されるような、「南」の中から経済発展を遂げる国や地域が現れてきたからである。最近ではさらにBRICS(ブラジル・ロシア・インド・ 中国・南アフリカ)を加えることができる(ロシアは元々 「北」の一員ではあったが)。もう一つの理由は、「南」の国の中でも「北」の国の中でも富裕層と貧困層の格差が拡大し、いわばそれぞれの国内において「南北問題」を抱えるようになったからである。  

その意味で、南北問題という捉え方が、問題の総体的な構造を捉えきれなくなっていることは確かである。だが、だからと言って、先進諸国と、一部の経済発展を成し遂げた「南」の国や地域を除くその他の大多数の発展途上諸国との間の格差問題が解消したかというと、そんなことは無い。南北問題は依然として存在し続けていると言うべきである。

 

<中心-周辺>システムの歴史的形成過程  

上で見てきたように、「南」の貧困と「北」の豊かさが共に、近代における<中心-周辺>システムの結果であるとするなら、次にこうした近代世界システムが形成された過程を大雑把に見ておきたい。  

近代世界システムの形成の根拠は近代植民地支配に遡る。「北」による「南」の植民地支配は、1492年のコロンブスによる「新大陸の発見」以降、アメリカ大陸やインド・東南アジアへ西欧諸国が進出し、直接交易を開始したことに端を発する。西欧で産業革命によって資本主義的生産様式が支配的となる以前、15世紀半ばから18世紀にかけて、ヨーロッパに成立していた王権が絶対主義体制(それを支える常備軍と官僚制度)を維持するため、国富増大をめざしていわゆる重商主義政 策を行った。重商主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することが国富を増大させることである、と考えて実施された経済政策であり、大航海時代以降加速した。金・銀などの貴金属や香辛料・茶・漆器・陶器などの特産品の植民地諸国から西欧への輸入は、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。後、イギリスで羊毛織物マニュファクチャーが発展すると、羊毛織物をアフリカ大陸へ輸出してそこで奴隷を購入し、奴隷をアメリ カ大陸へ輸出してそこで砂糖や銀を入手して本国・ヨー ロッパへ持ち帰るという三角貿易が盛んになる。この時期、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス等の国々で植民地争奪戦争が繰り広げられた。  

18世紀イギリスで産業革命が行なわれ、資本主義的生産様式の下、大量生産が行なわれるようになると、「北」による「南」の植民地支配の性格は大きく変化する。それまでの植民地支配の動因は、「南」のある地域が偶然ある一次産品を産出することに拠っていたのに対し、産業革命以降、植民地支配は、資本主義的生産を維持するための欠くことのできない手段となった。すなわち、産業革命により生み出された機械制大工業は、大量の商品生産を行なうようになったが、大量生産を行うためには、大量の原材料の確保、および大量に生産される商品を売りさばく商品販売市場の確保が不可欠である。さらに、1870年代以降になると、企業が巨大化し寡占化が始まる。銀行業が発展し、寡占企業と融合するようになる。大量の資金が巨大銀行に集まるようになり、銀行はその投資先を求めるようになる。  

産業革命は、イギリスに引き続き、19世紀にフランス、ド イツ、アメリカ、ロシア、イタリア、日本といった諸国で行なわれた。後に列強と呼ばれるようになるこれらの「北」の国々の間で、原材料を自国で独占的に確保し、また他国の商品を締め出して自国の商品を優先的に販売し、資金を排他的に投資することの出来る市場を確保するために、「南」の諸地域を植民地として支配することが不可欠となったのである。こうして植民地拡大競争が行われるようになった。  

フィリピンの植民地支配の歴史も、こうした近代植民地支配の歴史的文脈の中にある。次回はフィリピンの植民地支配の歴史を振り返り、フィリピン経済がどのように変容を被ったかについて、もう少し具体的に見ていき たい。