第11回:貧困問題の解決とは(1) ――貧困の原因について

 

これまで7回にわたって、非当事者としてのNGO (とそれを支える日本の市民)が、発展途上国における貧困問題の解決に向けて果たすべき/果たすことができる役割について、その活動の方法論と意味について、筆者が所属しているNGO(「アクセス」)の経験に基づきながら概観してきた。  

今回からは、もう少し俯瞰的な視点から、貧困問題を解決するということは何を実現することなのかについて考えてみたい。そのためにも、発展途上国の貧困の原因について改めて見ておきたい。

 

貧困の構造的原因を探る  

アクセスは、これまで述べてきたように、発展途上国(フィリピン)の貧困問題の解決に取り組んでいる。生活していくうえで最低限必要な基本的ニーズが満たされていない貧しい人々にモノやサービスを提供することでニーズを満たしたり、基本的人権が侵害されている貧しい人々(特に女性や子ども)の人権を擁護したりする活動を行いながら、集団的エンパワメントを進めている。  

こうした活動を行う一方で、私たちは発展途上国の貧困を生み出している構造的原因を探求してきた。貧しい人々の基本的ニーズが満たされなかったり、基本的人権が侵害されたりすることの痛みには、それを生み出している構造的原因があると、私たちは考えている。この痛みと、痛みを生み出す原因との関係は、病気にたとえることができるかもしれない。病気の人は身体に痛みを感じる。痛みを感じている人は、痛みを和らげる薬を必要とする。私たちの基本的ニーズを提供する活動や基本的人権を擁護する活動は、痛みを和らげる活動と言える。だが、痛みを和らげる薬は、痛みの原因をなくすものではない。薬で痛みを和らげても、原因は相変わらずそこにあり、すぐに別の痛みが現れる。貧困問題でも同じことではないだろうか。私たちは、痛みを和らげる活動を行いながら、痛みを生み出す原因を明らかにし取り除くことをめざしたいと考えている。

 

貧困の原因  

スタディツアーで、スモーキーマウンテン(リサイクルできるごみを拾って収入を得ている人々が住むコミュニティ)を訪問したとき、ツアー参加者の最初の反応として述べられるのは「政府が何とかすべきである」「頑張って働けば何とかなるはず」「恥の意識を持 つべきだ」などの意見だ。  

個々の人が頑張って働かないことが問題だ、という意見を述べるのは年配の方が多い。確かに、スタディツアーで都市スラムを短時間回っているだけでも、そう言いたくなる光景が目に入ってくる。昼間から大人が集まってカード遊びをしたり、酒を飲んだり、あるいは何をするでもなくブラブラしていたり……。戦後、空襲による焼け野原の中から、懸命に働いて家族の生活を支え、ひいては60年代以降の日本経済の「高度成長」を成し遂げてきた自己の経験とそうしたフィリピンの「現状」とを重ねあわせてしまわれるのであろう。だが、戦後の日本が持っていた条件とフィリピンの置かれてきた歴史的条件とを同列に論じるわけ には行かない。  

日本の場合、第二次世界大戦前に、既に相当程度の経済発展を達成していた。日清・日露の二度の戦争を経る度に、繊維産業・鉄鋼業という主要産業における産業革命を成し遂げ、第一次大戦中の戦需景気を背景に1920年代には重化学工業の基本的な発展が達成されていたとされる。さらに米国の経済支援が、戦後復興のために大きな力となった。戦後の東欧諸国における社会主義政権の発足とアジアにおける中国革命・朝鮮戦争に直面した米国は、西欧諸国とならんで日本・韓国・台湾に対し多額の経済援助を行い、戦後復興を支援したのである。その上、戦前の日本の経済・社会構造の基礎を形成していた大土地所有制度が、戦後の米占領軍による改革により解体され大量の自作農が形成された。この農業革命が戦後の経済成長の大きな条件となる。  

このようなマクロな経済的諸条件の中で、個々人の「頑張り」が「成果」となって実を結び、実感できるような環境が戦後の日本にはあった。右肩上がりの経済成長の中で、望めば職があり、頑張って働けばささやかであれ今日の食事と住居を心配しなくても良いだけの収入を手に入れることができた。80年代までは 「一億総中流」と言われたような幸福な時代があったのである。こうした条件はフィリピンにはなかった。  

また、政府が何とかすべきだという意見については、①政府の財政規模がそもそも小さいこと(日本の歳出の30分の1)、しかも多くの割合が対外債務の返済に充てられていること、よって民生支出の額がとても小さいこと、②政治家・官僚の汚職が酷く、少なくない政府資金が彼らのポケットに消えていること、③人口の半数が1日2ドル以下で生活しているフィリピン社会に、完全雇用を前提とし、そこからこぼれ落ちる人々を対象に社会保障を行うという先進国型福祉国家のモデルは適用できないこと、を指摘しなければならない。そもそも貧困を生み出すのは社会経済構造であり、政府の社会保障政策はその結果を事後的にカバーするものでしかない。

貧困の原因を探ろうと思えば、発展途上国の貧困を創り出してきた社会経済構造をこそ問題にしなければならない。

 

フィリピンの社会経済構造の問題点  

フィリピン社会の貧困問題の最大の要因が、これまでも何度か言及してきた大土地所有制に起因する農業・農民問題である。大土地所有制では、自分の土地を自分で耕す自作農とは異なり、地主が広大な土地を所有し、そこで農作業する人は、自分では土地を持たず土地を耕す権利を得る代わりに収穫物の6 ~7割にも相当する小作料を地主に支払う小作人か、大規模プランテーションを営むアグリビジネス企業に雇われ賃金を得る農業労働者である。そこでの問題点は、労働力の恒常的買い手市場を背景に、小作料が高かったり、賃金が安かったりして基本的ニーズをみたすだけの収入を得られないことである。また、一部の大地主を除き、地方の中小規模の地主の多くは営農意欲に欠け、生産性が低い。その結果収量は上がらず、小作農の取り分は少ないままだ。さらに、大規模プランテーションを行っている地域では、土地の利用がバナナ・パイナップル・ココナッツ・サトウキビといった輸出用商品作物の単一栽培に限られ、主食となる穀物や根菜類の栽培が行われないことを指摘することができる。ここでは、農村であっても、主食となるものは基本的に作るものではなく買うものである。その結果、穀物・根菜・野菜といった農作物の栽培技術が受け継がれておらず、人々は飢えていても、使われていない土地が周りにあっても、自分で栽培する術を知らない。  

マニラ首都圏の都市貧困地区住民の出身地のかなりの部分が、ビコール地方・ビサヤ地方の貧しい農業地帯である。私は、かつてスモーキーマウンテンでゴミ拾いをしている人たちに「田舎に帰りたくはないか」と聞いて回ったことがある。余りに非人間的な 労働生活環境だと感じたからだ。だが、ほとんどの答えは「否」。「ここではゴミを拾えば現金収入を得ることができ、食べることができるから」というのが共通の理由であった。端的にひもじい。借金のかたに娘を身売りせざるを得ない場合もあると聞いたことがある。フィリピンの最も貧しい農村地帯では、多かれ少なか れこうした生活が日常となっている。  

政府が何とかしなければならないのは、福祉政策のまえに農地の解放(実際に農作業を行なっている小作人に土地を分配すること)である。歴代の政府も農地改革の必要性を常に掲げてきている。だが作られる法律はいつも抜け道が用意されており、農地改革は一向に進まない。上・下院の議員、政府の高級官僚たちの多くが、そして大統領たちが、大土地所有者の利益を代表する人たちであるからだ。  

農村では食えない現実が、貧しい人々を都市へと追いやる。だが、都市部での産業の発展は不十分で労働力人口を吸収しきれない。それゆえ、マニラ首都圏1100万人の住民の約4割が都市スラム居住者であると言われている。比較的余裕のある貧困層上層や中産層はさらに海外へ出稼ぎに行く。海外出稼ぎ労働者の数は、ついに累計で500万人を超えたと言われるが、これも国内に十分な労働市場が形成されていないことの結果である。

 

世界システムの中のフィリピン経済  

こうしたフィリピンの農業・農民問題、都市部における産業未発展の問題、ひいては国民経済全体の問題は、フィリピン一国内で完結しているわけではなく、むしろ国際的な政治経済環境の中で再生産されているものだ。そもそも大土地所有制そのものが、フィリピ ンで内発的に発展してきたものではなく、16世紀以降のスペイン・米国による400年にもわたる植民地支配の下で移植され、強制され、根付き、発展してきたものなのである。  

私たちは、フィリピン社会が今なお抱える貧困問題の最も根本的な要因をこうした近代植民地支配に見る。そして、戦後、政治的独立を果たし、ポストコロニアリズム植民地主義以降)の時代とも言われる現代に至るもなお、先進国による政治的・軍事的・経済的・文化的支配が、相変わらず、だが形を変えて、旧植民地の貧困を再生産しているのである。  

次回、この問題について考えてみたい