第3回:フィリピンの貧しい人々

 

前回は、スタディツアーでの出会いを契機として、フィリピンの貧しい人々を支援するボランティア活動に参加し、国境を越えた直接の・恒常的な協働関係を作り出していく過程を紹介した。そして市民によるこうした活動が、「公」にも「私」にも包摂されない「共」的な国際協力(相互扶助)の空間と関係を作り出していることを指摘した。 

次に、NGOという形態を通じた国際協力活動の具体的な場面において、非当事者としてのNGO(とそれを支える日本の市民)が、発展途上国における貧困問題の解決に向けて果たすべき/果たすことができる役割について考えようと思うが、今回はその前提としてフィリピンの貧しい人々とはどういう人たちなのかについて紹介しておきたい。

 

統計からみるフィリピンの姿

世界銀行の2007年の統計によると、フィリピンの一人当たり国民総所得は1,620ドルで、日本(37,670ドル)の約25分の1、マレーシア(6,540ドル)の約4分の1、タイ(3,400ドル)の約2分の1、ベトナム(790ドル)の約2倍、バングラデシュ(470ドル)の約3.4倍である。だが、注意しなければならないことは、フィリピンが貧富の差の激しい国であるという事実である。フィリピン国家統計局(NSO)のデータによると、最富裕層(上位10%)が国民総所得全体の36%を所有しているとされる(2006年度)。他方、日収1ドル以下(年収365ドル以下)で生活している人が総人口の約13.5%(1,100万人)を占め(2007年11月国際食糧政策研究所(IFPRI)による)、日収2ドル以下(年収730ドル以下)の収入しかない人は実に総人口の約50%(4,400万人)を占める(2007年世界開発銀行)。つまり、一人当たり国民総所得を引き上げているのは、一握りの富裕層ということになる。

では、こうした貧しい生活を余儀なくされている人々は、どういう生活を送っているのだろう。少し古い数字になるが、国際協力銀行の2001年の資料によれば、フィリピンの貧困層の77.4%が農村部で暮らしているとのことである。就労人口の35.8%が第一次産業に従事する(2006年)一方、第一次産業国内総生産に占める割合は14.1%(2007年)に過ぎないことから見て取れるように、農林水産業における生産性が低いにもかかわらず、就労人口の3分の1を超える1230万人、就労者に依存している家族を含めるとその2~3倍の人口が第一次産業に依存していることになる。

 

農漁村地区の貧困層の生活と問題

筆者が所属している団体のプロジェクト地の一つに、フィリピン・ルソン島の太平洋岸に浮かぶアラバット島ペレーズ地区がある。ペレーズ地区は、アラバット島の北部3分の1を占め、人口1万1千人の半農半漁の村である。主要な産業はココナッツと漁業、それに米作が続き、小規模に養豚や畑作、炭作り、雑貨屋などを営む家族もある。

ペレーズ地区の土地の大半は10人の地主が所有しており、ココナッツの栽培や米作は小作人が行う。フィリピンは、スペイン植民地統治下で形成された大土地所有制度が今なお残存しており、これが農村の貧窮の大きな要因となっている。大土地所有制の下での農業の生産様式は、大きく小作農による生産と農業労働者による労働集約的大規模経営に分かれる。いずれもプランテーションによる輸出用単一商品作物生産が大きな割合を占める。後者は近代的なプランテーション経営のケースで、企業が農業労働者を雇用しバナナやパイナップルなど輸出用商品作物を生産している。フィリピンの場合ドールやデルモンテといった多国籍アグリビジネスによる経営が知られている。近代的とは言っても、低賃金の上、農薬による労働者の健康被害など解決すべき課題は多い。他方前者は前近代的な経営形態で、生産は小作農とその家族による家内労働によるものが多い。小作農は、労働量に応じて一定の賃金を受け取る労働者とは異なり、利益を一定の比率で地主と分け合う形で収入を得る。

ペレーズ地区における小作人は、ココナッツプランテーションの場合、粗利の6割から7割を小作料として支払う。ココナッツは、その実から油をとる。用途は食用油脂として,マーガリンやショートニングの原料、製菓用油脂などに、工業用としては、浴用セッケン、合成洗剤の原料、化粧品用などに用いられる。大半を輸出するため、国際市場の価格変動の影響を受けやすく、また台風による被害を蒙る場合も少なくない。小作人は年に3 ~4回の収穫ごとに収入を得る。受け持つココナッツ農園の面積により収入に差はあるが、定期的に収入のある分、ペレーズの中ではまだ恵まれている。

他方、漁業は10人から20人乗りの船で沖合いに出て漁を行う漁船もあるが(その場合でも網の巻上げなどは人力に頼る)、多くは1人~ 3人乗りの小型のボートに乗って沿岸で漁をする。だが自前でボートを持っている漁民は少数派で、多くは賃料を払う。ボートも借りられない人たちは、素潜りで魚を獲る。10月から3月にかけては海が荒れ、漁に出られない日も多い。大半の漁民はその日取れた魚をその日のうちに売り、得た現金で米その他の食糧や生活必需品を買う。時化が続くと米を食べられず、ココナッツの実を削ったものを食べたり、山に入り自生のバナナや芋を採取して飢えをしのぐ家族も出てくる。いよいよ金が回らなくなると、親戚や知人、高利貸しから金を借りて、何とかしのいでいく。

ペレーズ地区での最貧困層は、こうした零細漁民である。彼らは、漁のできない日が続くと、臨時の仕事を探す。ココナッツの小作農から農園の清掃やココナッツの皮を剥ぐ仕事をもらったり、木材を伐採して運搬する仕事をしたりして日銭を稼ぐ。

上下水道はなく、生活用水は井戸を掘って得るが、一部のお金持ち以外は、数メートルほど掘る浅掘りの井戸を村で共有して使う。トイレのない家も多く、清潔な飲み水とはいえない。電気なしで生活している家庭も少なくない。ペレーズ地区に小学校は7校、ハイスクールは1校あり、初等・中等教育を受ける環境は整っている(フィリピンの学制は小学校6年、ハイスクール4年、カレッジ4年である)。が、貧しさのために小学校しか卒業できない、ないし小学校も卒業できない子どもが貧しい村では20%にも上る。病院はなく、港近くの町に内科医と歯科医は1名ずつ居るが、遠方の村だとトライシクル(バイクにサイドカーをつけた公共交通機関)で30分以上かかる。各村ごとにヘルスセンターは置かれているが、医者は常駐せず、常備されている薬の種類も量も少ない。

こうしたペレーズの貧しい人々の生活は、フィリピンの農漁村に一般的に見られる光景であろう。飢餓により死に至るケースは非常に稀である。だが、慢性的な貧窮、何世代にもわたる貧困の連鎖の中で、人としての潜在力を開花させる機会を奪われ、限られた選択肢しか持たず、自らの力で地域を改善し、生活をより良いものにする希望を失ってしまうような生活環境がそこにはある。

 

都市部への移動とスラムの形成

ペレーズ地区の貧困層家族の親の世代の人たちは、小学校卒ないし中退、ハイスクール中退の最終学歴を持つ人たちが多い。大学を卒業した人は稀である。そもそも、大学への進学率が低いこともあるが、ハイスクールを卒業した人、大学まで進学した人は、島を出て、都市部で職を求めるケースが多いからである。都会の生活に憧れて、あるいは職を得、収入を得、家族を支えるために、親戚や知人を頼って都会に移住する。

農村部の貧窮と都市部への人口流出、そして都市スラムの形成は、東南アジアの国々で多かれ少なかれ見られる現象ではないだろうか。農村部から都市部への人口移動は、大きく二つのケースを考えることができる。一つは、例えば60年代高度成長以降の日本のように、都市部の発展が農村部の人口を吸引するケース。もう一つは、フィリピンのように、農村部の困窮が人口を押し出すケースである。後者の場合、都市部で吸収できる労働力人口には限りがある。都市に出たからといってまっとうな職を得られることはむしろ稀であろう。多くの人は、都市スラムに流れ込む。

マニラ首都圏では400か所にも上るスラムが形成されているという。スラムが形成される場所は、川沿い、線路沿い、ゴミ捨て場周辺などで、所有権のない狭い土地に家屋が密集する。人口密度が極度に高く、上下水道が無い場合がほとんどで、公衆衛生・プライバシーなど住環境は悪い。人々は、露天商、洗濯婦、ペディキャブ(自転車にサイドカーをつけて客を運ぶ)運転手、工事現場の日雇い、小規模雑貨屋の経営、スカベンジャー(再利用可能なゴミを拾い集め廃品回収業者に売る)などの、いわゆるインフォーマルセクターの仕事に従事し、生計を得る。売春や麻薬売買で収入を得る人も少なくない。

都市スラム住人の中には、他にも工場労働者やガードマン、スーパーの販売員などとして雇用される人たちもいて、こうした賃金労働者は都市スラム住民の上層を形成している。フィリピンにおいても労働者の非正規化、不安定雇用が進んでいて、大きな企業でさえ単純労働に従事する労働者は6カ月以下の短期雇用として採用する。例えば、シューマートというフィリピン最大のスーパーマーケット・チェーンでも、販売員はこうした短期契約である。ハイスクール卒が条件となり、都市スラムの住人であっても採用されたりする。

他方、マニラ首都圏で、最低賃金をきちんと払えるような企業で正規従業員として職を得る事ができるのは、大学を出て、英語を流暢に操ることのできるような人々であり、中産階級の子弟が大部分を占める。その意味でフィリピンは、階級格差の明確な社会であり、階級間の流動性が小さいと言える。私のフィリピン駐在中の狭い経験でいえば、中産階級の裕福な人々は同じ国民であるはずの貧しい農民や都市スラム住民に対する関心がとても薄い。のみならず、差別意識が強い。NGOスタッフであるから当然とはいえ、貧しい人々の生活のありようについては、日本人である私の方が詳しい場合がほとんどであったし、彼らの上から見下したような物言いに反発を感じたことが少なからずあった。

とは言っても、日本の国内でも事情は大差ないと言うべきかもしれないが。